ヒケシトカゲ

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映像の楽しさ

最近、映像にはまっています。自分のゲームプレイ集を作るために入れてみた動画編集ソフト、『aviutl』で映像作品を作れることを知ってから、僕の生活は変わりました。最初は、曲に歌詞をつけて楽しんだり、映像作品のまねをして喜んでいましたが、だんだんと自分で映像を作ることに興味が出てきて、やってみることにしました。そうしたらなんと、見事に生活習慣がぶっ壊れました。しかし、その代償と言ってはなんですが、映像界隈の知り合いや、自分がいままで見てきたMVのすばらしさに気づくことができました。今となっては映像のことを考えることが大好きになり、大好きだったfpsをあまりやらなくなる程度には生活が変わりました。まぁ、何が言いたいのかといいますと、映像は楽しいです。また、いろいろしていく中で、僕が気づいたことを話していきたいと思います。まず、どんな人が楽しみやすいか。それは、自分で1から何かを作り上げることが楽しいと思える人ではないかと思います。プログラムとかが好きな人はハマるのではないでしょうか?映像は様々な演出で構成されています。1つ1つの演出はあまり目立たないものが多いですが、それらを組み合わせることでかっこいい映像や、雰囲気にあった映像が作れたりします。達成感がすごいんですよ。次に、なぜハマってしまうのか。です。それは、自分の個性が表れやすいから。だと思います。映像は、原形というものがない分、かなり個性がでます。つまり、世界に1つだけの映像をだれでも作れるんです。そう考えると、映像をやってみたくなりませんか?最後に、1から作る映像をなぜ続けられるのか。です。それは、映像が上手い人が解説動画を無料で公開してくれていたり、初心者用のサイトが充実しているから。です。『aviutl』は無料ソフトなので、かなりとっつきやすいです。また、初心者に優しいサイトがたくさんあるので、誰でも映像を作ることができます。このように、趣味としてかなりやりやすいので、皆さんも一度やってみてはいかがでしょうか?

自分と他人との解離

自己満足と他人との尊重の比率の配分は難しい話だ。絶妙なバランスを保つことは前述のとおり難しいが、コミュニケーションの中で必ず求められることではある。四則演算もわからない小学生に複素数の話をしてもわからないだろうし、おそらく難易度としては動物に人語を完全に理解されるほど難しいとあると私は予想する。この配分に気づいた人は800字程度の小論文を書いてもらいたいくらいだ。さて、この「バランス」は人によって異なる思想を持ち、異なる正解がある。(これに関して疑うと民主主義の存在意義と関わりの最小限化について語ることになってしまうので今回は割愛されてもらう。)これにより意見の対立が起きるわけだが、当然どちらか一方がそれっぽいことを言ったもん勝ちといった謎のゲームが始まる。こうはいったものの、私はこの行為は悪いことだとは思っていない。そもそも言葉は人間中心に作られたものであるため、ここに絶対的な正解などないからである。(悲観的に文章を構成しているようにみえるが、作者は意外にもポジティブ的な意味で書いているのでお許しを。)そもそも正解のないものを追い求めること自体は謎ではあるが、生きる以上なんらかの線引きは必要なものである。その線には自然災害のような普遍的で絶対的なものが介在しているといってもよいだろう。話を戻そう。「郷に入れば郷に従え」といった言葉がある。これは、界隈のしきたりを遵守せよ。ということわざであるが、これは教えであると同時に良い風刺でもあると捉えることができる。深読みと言われればそこまでではあるが、私はこういった世論で片づけて本当の問題に向き合おうとしない姿勢はあまり好きではない。私はむしろ討論したい人間なのである。ご存じのとおり、私が言っていることは妄言であることが99%だが、自分が否定される立場になって初めて見えてくるものがあると私は信じているので、これをやめるつもりはない。これに関しての異論は受け付けない。私は悪、君は正義で構わない。むしろそれでいい。それがいいのだ。私のような人間はただ面倒なだけである。よく理解している。けれども、自分が無理はしたくないし、相手への思いやりはしたい。そういった矛盾を指摘してくれ。結局はなにも捨てたくないんだよ。僕にも感情はある。歪んだ感情がほとんどだが。